武者人形
( ̄ー ̄)
端午の節句に飾る武者人形。
鎧兜を身に着けて勇ましい武者姿の人形ですが、その元になる話を知っている方は少ないんじゃないかな?
と、思います。
では、その武者人形を飾るキッカケとなったモノとは何なのか?
それは
( ̄ー ̄)ノズバリ!!
『昔は、子供に本物の鎧を着せて祝っていた』
こちらがそのお話です。
【源太くんの鎧兜】
さて、時は平安中期頃・・・
河内源氏宗家の当主【源頼義】の時代に遡ります。
源頼義に待望の嫡男が誕生すると、その子のために特別な鎧を作らせました。
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この鎧兜は、今では伝説になった【源氏八領の鎧】の一つにして、源氏宗家の嫡男が最初に鎧を身に付ける【鎧着初めの儀式】に用いられていたそうです。
そして、その鎧兜の名前の由来ですが、源頼義の嫡男【八幡太郎源義家公】の幼名【源太丸】に由来します。
つまり【源太くんの鎧】と言う意味で【源太ヶ産衣】と呼ばれていたそうです。
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これが、今の端午の節句に飾る武者人形の始まりであり、その勇壮な姿は
『源家八領の鎧【源太ヶ産衣を身に纏った源太丸の姿】を模したもの』
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のちに、それを飾り【我が子の成長を祝うようになった】のだろうと思われます。
【伝説の源氏八領の鎧】
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さて、その武者人形の元となる【源氏八領の鎧】と、それを実際に身に着けていた武将を紹介すると
@【源太ヶ産衣】
(八幡太郎源義家/源頼朝)
八幡太郎義家公(源太丸)誕生に際して作られた豪華絢爛な鎧兜。
以後、源氏宗家歴代の嫡男に受け継がれる。
胸板に天照大神と源氏の氏神である八幡神をあらわし、両袖には藤の花が威してあったらしい。
平治の乱にて喪失。
A【沢瀉(おもだか)】
(源朝長)
兜のしろこや大袖、草摺に白糸の三角形(沢瀉紋様)をあしらえた大鎧。
平治の乱にて喪失。
B【薄金】
(堀川判官源為義)
薄い鉄札で作られていた軽量級の鎧兜。
保元の乱にて喪失
C【八龍/大八龍】
(鎮西八郎源為朝/源義平)
全身に八匹の龍の飾りが施してある。
平治の乱にて喪失
D【月数】
(源頼賢)
兜の星の数が12個あったと言われる鎧兜。
保元の乱にて喪失
E【日数】
(源頼仲)
兜の星の数が360個もあったと言われた鎧。
保元の乱にて喪失
F【膝丸】
(陸奥六郎源義隆?)
牛1000頭分の膝の皮を張り合わせて作られた鎧。
平治の乱にて喪失か?
G【楯無】
(源義朝)
あまりの頑丈さに『楯が要らない』と言われた鎧兜。
平治の乱にて一時喪失するも、のちに回収され、甲斐武田家に伝来。
※現在では【伝・小桜革威大鎧】として【唯一現存する源氏八領の鎧兜】です。
因みに、戦国時代最強を謳われた戦国武将【武田信玄公】率いる甲州武田軍団出陣の折に言われていた言葉に
【武田信玄】
( ̄○ ̄)ノ┃く風林火山]
『御旗【楯無】ご照覧あれ〜っ』!!
の【楯無】とは、この源氏八領【楯無の鎧兜】のコトです。
( ̄ー ̄)はい。
以上です。