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Jメール日記

投稿内容

  • びんぼくん 35〜39 夜職 東京 close

自己紹介

世界の皆さん、こんにちわ!ニックネーム通りの貧しさ限界突破の弱者男性です! プァパカツ!?ンなモン無理に決まってんだろ!むしろムァマカツさせてくれる裕福なマダム、というかお嬢様いねがー!?とナマハゲのごとく闇夜に目を爛々とギラつかせて闊歩したい気分だぜ!逮捕必至! などと、容疑者は供述しており、、、な状態ですが、こんなんでなかなかのハードモード人生を送ってきた苦労人だよ!学校ではバカにされ、家庭は崩壊、父親の借金を肩代わりしたり、倒れた母親の介護したりの生活で頭だけ少年のまま、すっかりおっさんになっちまった!悲しいねえ。 ハードモードは現在進行系で、母親の施設入居で介護生活から解放されたと思ったら、働いてる夜勤のカイジの地下労働みたいな肉体労働でパワハラのオンパレード!すっかり鬱になって通院もしてるよ! 、、、しかし、この貧乏小僧には夢がある! この波乱万丈の人生を生かし、作家になりたい! そう思い自らの妄想の塊を綴った小説サイトを立ち上げ、そこそこのアクセス数を稼ぎ、書籍化打診の声を掛けられるも、こいつがとんでもねえ詐欺野郎で無賃で散々こき使われたあげくにポイ捨てされ、しかも変態ロリコン野郎とメチャメチャなデマまでばら撒かれのたであった。こんな詐欺野郎が某市の市議とかやってるんですよ!恐ろしいですね!なんとか名誉挽回しようと防戦する僕でありましたが、数々の嫌がらせと脅しに遂には心折れ、廃人同然となったのだった。 こんな哀しい事件からも時が経った。 僕は、いま、再び立ち上がりたい! その力を、元気を、オラにわけてくれ!! 応*してくれる素敵レディ、ガールを募集したいと思います!!よろしくオナシャス!!!

  • 地域
    東京
  • 年齢
    35〜39
  • 職業
    夜職
  • 血液型
    B型
  • 身長
    160〜164cm
  • スタイル
    ちょいポチャ
  • ルックス
    お笑い系
  • 性格
    やさしい
  • なし

興味あること

趣味友達

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ハンカチ必須!悲しい過去

夢に向かって努力し、結果を出す。
それは素晴らしいことだと思います。
僕の通っていた高校は偏差値は低めのところで、ちょっとヤンキー的な生徒も多かったですが、それなりに楽しく高校生活を過ごしていました。ノートも色んな人に貸しましたが、隣りのクォーターの女の子にノート貸したら、その日の夜にテレビに出てたとかありましたね。大学に進学する人は少なかったのですが、自分はチャレンジし、何校も受ける余裕は無かったんで、自分でもなんとか受かりそうな大学に向けて一点突破で頑張り、勉強し、試験当日は、これはなかなか厳しいんじゃないかと思いましたが、結果は合格でした。文学部志望だったんで、大学行ったら、どんなことやろうかと期待に胸を膨らませていたのですが、父親の様子がなにやらおかしい。浮かない顔で、なにやら言いたいことがありそうなのだが、喉の奥に魚の骨が詰まったかのような表情で、押し黙っている。
「大学ではパソコン必須なんだ、買わないと」などと僕が入学案内の書類を見て、これからの展開について話していても、うわの空。 
この頃の記憶は、僕も曖昧なのです。どういう順番で事が起きたのかも、はっきりとは覚えていません。
父親が家に帰らなくなったり、母親が情緒不安定になったり。とにかく、家庭が急速に崩壊していった事はなんとなく覚えています。
入学するか辞退するかを、電話にて大学側に伝えなくてはならず、その期限日、父親が電話口に向かい、受話器を取り、電話を掛ける、、、
僕は、その瞬間まで父が、「そちらの大学にお世話になります」とでも言ってくれると信じていたのですが、結局出た言葉は「申し訳ないですが、入学の方、辞退させていただきます」でした。
元々、経済的に余裕は無い家でしたが、「どうにか大学は行かせてやりたい」と、受験を決めるときに尋ねたのに、どうして、、、
後々、というか薄々わかっていたのですが、どうもこの時、父はホステスかなんかの女性に入れ上げて、*を貢いでいたようです。
今から考えれば、家に居場所がなかったんだとは思いますが、それは結局自分が周囲を苦しめた末の結果です。父親はギャンブル好きで、家にろくに金を入れず、母親はパート2つ掛け持ちで、家計を支えていました。高校2年の正月に郵便局の仕分けのバイトをしていたのですが、最終日に父親がタクシー(仕事がタクシー運転手なので仕事用のですが)で、迎えに来て、車内ではねぎらいの声を掛けてくれたりと、珍しい事があるもんだと思っていたら、後日バイト代の入金日に「半分貸してくれない?」と情けない顔で聞いてきました。結局、断ることはできず、そのまま*は奪われました。
大学の入学辞退を、高校の方へ連絡する事も出来ず、結局卒業式の日は、式典終了後には逃げるように帰る事しかできませんでした。
その頃になると、父親はほとんど家に戻ってこなくなり、母親も家から出ていったので、僕はときたまバイトをしながら、猫1匹を相棒に、なんだかんだで大学には行けるだろうと小さな頃から思っていた未来予想図をあっさり覆されたことで、空虚感に苛まれながらしばらく生きていくことになったのです。

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