おんじんへの想い
今でも思い出します。
東京で夜昼働いていた時
私を拾って呉れた社長さん
そして銀座で二十歳の頃ラーメン屋の屋台を引いて
あの階段登って来るのよとママさんが
横浜に住み生活も安定して
あの方々が居なかったら今の生活は有りませんでした。
生きて行く上で必要な事は人に愛される事なのでは
今、横浜で有名な代表として生きて来れた事を私は忘れません。
どんな時も優しい心を心に秘めて生きて行こうと思います。
辛い時は在りましたが
美しい思い出として明日また幸せが来ると信じて
おやすみなさい。