日航123便が群馬県の御巣鷹山に墜落して本日で39年、
月日が経つのも早いもんで日本航空123便が4県のド真ん中にある群馬県側の御巣鷹山に墜落して本日で39年か。
此の頃の私は富士通の本社でソフトウェアの開発に従事していた頃で私が未だ23才の頃の話しですね。
テレビや新聞報道などでは圧力隔壁の疲労による原因で垂直尾翼が破壊されコントロールが出来なくなりパイロットの懸命な努力も虚しく残念ながら御巣鷹山に墜落してしまったとどの報道機関も国民に報じていましたが。
実際に日航123便が墜落した山の正式な名称は高天原の霊山と言う名称で御巣鷹山は隣りの山の様です。
当時は正式な名称が無く上野村の村長が御巣鷹の尾根と名付けた様です。
一応、墜落と言う名目になっていますが実際には撃墜された可能性が非常に高い様です。
此の飛行機が相模湾上空を飛行している時間帯に相模湾で新型ミサイルの発射実験を行っており自衛隊かアメリカ軍の何方かが誤って模造機のオレンジエアーか火薬が無い実験用のミサイルの何方かお垂直尾翼に当ててしまった説が濃厚の様です。
此の日航123便の撃墜事件の真相に関しては国家機密になっている様で既存メディアは一切取り上げない。
経済アナリストの森永卓郎氏が余命3ヶ月を医師から宣告され三十年にも及ぶ様々な謎を分析した結果を一冊の本に纏めて出版している。
私の自宅から御巣鷹山の登山口まで約2時間、会社からだと約1時間で行く事が出来る
今から11年前の5月のゴールデンウィークに競馬仲間と慰霊登山に行きましたが何せ急勾配が険しく45°の心臓破りの急斜面が永遠に続き突貫工事で作られた道路のアチコチが崩落していましたね。今は頂上付近まで車で行ける様に道を整備したみたいですが、
どうやら此の飛行機の撃墜原因をアメリカのボーイング社に整備不良と言う名目で隠蔽して貰い其の見返りにプラザ合意や日本が世界に誇っていた半導体の利権やその他多数などと引き換えに隠蔽して貰った様です。
其の交換条件が響いて日本経済はバブル期を境に衰退し当時の総理大臣であった中曽根は日航123便の撃墜事件の真相を墓場まで持って行くと言い此の世を去っている。
まあぁ〜、売国奴の集団で構成された自民党や公明党の在日集団だと其のぐらいの悪事はメディアをコントロールして嘘の情報を国民に植え付けて真実を隠蔽するぐらいの事はするでしょうね。