病み期だった僕に、刺さった言葉。
それにもかかわらずこの社会は「わかった」ふりをする。
わかったふりをして、ある人の行為を非難し、場合によっては犯罪者に仕立て上げ、別のある人を賞賛し、場合によっては褒美を与える。
自由意志も行為の因果性も偶然も運命も、実は何もわからないのに、社会(世間)とは、わかったつもりになるように鍛える場であり、それを強要する場であり、それに対する疑問を封じる場です。
それでこそ、社会はスムーズに動いていくのでしょう。
誰でも、心の底で一瞬きらりと「どこかおかしい」という閃光がよぎる。
しかし、その閃光も社会の中で生きていくうちにたちまち消えていく。
そんな中で身が粉々に砕けるほど禍を蒙った人々は、「どこかおかしい」という問いを決して消さない。
「なんでこんなことが?」という重い問いを抱えて生き続け、それを墓場までもっていくのです。
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この言葉に出会った時、生きることに意味があると思えなくて、ずっと虚しさを抱えていた
それは、今でも変わらないけど、ある種の「業」を背負っていかなければならないという覚悟が必要なんだと、少しずつ思えてきた
何かを知るということは、それを知らなかった自分には戻れないという、不可逆性を含んでいる