サラズム 「 原始都市遺跡」その2(ウズベキスタン旅行記)
この遺跡は、冶金、陶芸、石器製作といった高度な技術の存在を感じられることのできる珍しいものです。
サラズムでは、早い段階から銅の冶金が行われ、斧や釘、針などの道具が製造され、彩文土器や精緻な石製ビーズの出土は、装飾品や日用品の製作においても高い芸術性と技術力があったことを示しています。
これらの工芸品は、遠隔地との交易によって原料を得ていたとされ、サラズムが広域な文化交流の拠点であったことを裏付けています。
遺跡からは、メソポタミアやインダス文明との接点を示す遺物も見つかっており、中央アジアがユーラシア大陸東西の文化を結ぶ中継地として機能していたこと、特に彩文土器や装飾品のモチーフには、周辺地域の文化的影響が見られ、文明の伝播と受容の痕跡をたどることが可能です。
また、中央アジアにおける農耕の起源を探る上でも重要な遺跡で、穀類の栽培跡や動物の飼育痕が発見されており、農業と牧畜の共存がこの地域で早くから始まっていたことが示されています。
また、気候変動や自然環境との関わりの中で、人々がいかに持続可能な生活を築いてきたかを理解するうえで、サラズムは貴重な事例であるあり、現代社会に通じてものがあると思います。
サラズムの遺跡は、保存整備が進められ、保護施設や案内設備を通じて、一般公開もなされています。
発掘と研究の成果は、タジキスタン国内外の博物館で展示され、学術的にも注目され、遺跡から多くの装飾品や宝石、皮製品等と共にサラズムの王妃と名付けられた遺骨も発見されました。
この遺骨は見事な装飾品で飾られ、丁寧に埋葬されていたことからかなり高貴な人物だったと考えられています。
中央アジアの歴史において貴重な発見であったサラズムの遺跡は、2010年にタジキスタン初の世界遺産として登録されました。
サラズムの古代都市は、紀元前2000年頃、インド系の民族が侵入し都市の機能を果たさなくなったと言います。しかしその後、トルコ石の集積のための鉱山区域として復活したと考えられています。
このトルコ石はとても良質なもので、青色から緑色のトルコ石はサラズムの遺跡にとって重要な宝石になりましたが、その後、気候の変動により、農業が立ち行かなくなり衰退してしまいました。
しかし、その後は銅の産地としても再び栄えるという数奇な運命をたどっている古代都市とも言えます。
これらの出土品はサラズムの王妃と共に、タジキスタンの首都ドゥシャンベの国立古代博物館で展示されています。
なお、ローカルあるあるで、出土品が展示されている博物館があるのですが、丁度、停電となり、館内のトイレが使用できず、屋外の昭和レトロな掘立て小屋の中、長方形の穴がある「ボットん便所」を使用するハメになり、これには苦笑しました