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Jメール日記

投稿内容

  • 眠りネコ 45〜49 医療・福祉関連 香川 高松市 close

自己紹介

初めまして、かなり人見知りの私です。 職場では、大勢の男性の方が勤務されてますが、担当するお仕事が忙しく、なかなか良い出会いがありません。 私としては、日々を綴るお話、趣味のお話を含めて、楽しい色々なお話ができれば、良いなぁと考えています。 趣味は、料理、国内、国外の旅行、美術館巡り、写真、トレッキング、温泉、グルメ、ガーデニング、西洋陶器の収集等です。 旅行は、長期休暇を取得して、ドイツ、ニュージーランド、ヨーロッパ等の海外、また、尾瀬、北アルプス等のトレッキングに出かけていますが、独り旅が多いですね。 また、登山ギアも多少あるので、昨年から週末にソロキャンプも始めました。 また、少しだけならエッチなお話も可能です。 お互い、心と体が癒し癒され、また、価値観が共通する方とご縁ができればと考えています。 こんな私ですが、お気軽にお声をかけていただければと考えています。 どうか宜しくお願いします。 日々を綴る日記を書き始めました。 読んで頂くと、私の為人が少しだけ分かるかもしれません。 なお、出勤前の早朝、帰宅してからの時間しかスマホは、見ませんので、メールを頂いても、お返事が遅くなる場合があるので、ご理解下さい。 (お願い) なお、ご自身のプロフを少し丁寧に書いて頂けるとありがたいです。 メッセージを頂いても、プロフに説明が書かれていない方が多くて返信するのに躊躇する事があります。

  • 居住地
    香川 高松市
  • 年齢
    45〜49
  • 職業
    医療・福祉関連
  • 血液型
    O型
  • 身長
    150〜154cm
  • スタイル
    標準
  • ルックス
    癒し系
  • 性格
    明るい
  • あり

興味あること

恋愛、婚活、遊び友達、恋人探し、カフェ友達、趣味友達、食べ・飲み友達、悩み相談、ドライブ、スポーツ・フィットネス、カラオケ、ショッピング、大人の関係、テレH・メールH、ドライな関係、セフレ、不倫・浮気、SM、特殊プレイ、3P・スワッピング、写真・動画

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ブラハA (ウズベキスタン旅行記)

8世紀初頭には、この地方にイスラム帝国の勢力が及び、ブハラは709年、ウマイヤ朝の総督クタイバ・イブンによって征服され、以後、イスラム化が進みました。

9世紀後半、土着のイラン系貴族が、アッバース朝から自立してサーマーン朝を興し、ブハラは10世紀の末まで続いた王朝の首都となり、東方の草原地帯からイスラム世界に向かうマムルーク交易により商業都市として発展を遂げました。

サーマーン朝時代に、要塞と長大な市壁に囲まれた市街地及びその周囲に発達した郊外地域からなる大都市となり、ブハラはサマルカンドに代わって、マー・ワラー・アンナフルの中心都市に成長し、文化的には、サーマーン朝の君主の保護を受け、衰退していたペルシア語による文化活動が興隆し、アラビア語の語彙を取り入れアラビア文字で表記する近世ペルシア語の文学活動の中心地となりました。

君主の保護によってさまざまな施設が建設されましたが、中でも第2代君主イスマーイール・サーマーニーを葬ったイスマーイール・サーマーニー廟は、現在まで残されており、貴重な文化遺産で多くの観光客で賑わっています。

サーマーン朝が滅んだ後、テュルク系のカラハン朝や、ホラズム・シャー朝の支配を受け、徐々に政治・経済・文化の核のしての*はていかしたももの、依然として中央アジア屈指の大都市でした。

しかし、13世紀前半に、チンギス•カンが率いるモンゴルの征服を受け、市街が破壊され荒廃しました。

その後、モンゴル帝国支配下で徐々に人口が回復、都市は復興しましたが、15世紀のティムール朝になってからは、政治の中心はサマルカンドに奪われました。

16世紀後半に至り、ウズベク人のシャイバーン朝が、ブハラを実質上の首都と定めると、ブハラは、再び拡大に転じ、王族、ナクシュバンディー教団、貴族によってモスク、マドラサ、公衆浴場、商店街が建設されました。

地方を支配した歴代の王朝は、ブハラを首都としたため、ブハラ・ハン国(ブハラ・アミール国)と呼ばれていました。

ブハラ・ハン国の首都ブハラは、中央アジアにおけるイスラム教学の中心地としても重要な役割を果たし、「ブハーラーイ・シャリーフ(聖なるブハラ)」と呼ばれる等、各地から多くの巡礼や修学に訪れる宗教都市の性格も帯びています。

19世紀後半になり、ブハラは、南下政策を推進するロシア帝国によって征服され、ブハラ・アミール国は、ロシア帝国の保護国として植民地に組み込まれ、ロシア人たちは、ムスリムたちが住む旧市街を避け、その隣接地に新ブハラ(カガン)と呼ばれる近代都市を建設したため、旧市街地は、破壊を免れ、本来の都市構造と景観を維持できました。

また、新ブハラを起点としてロシアの各地とブハラを結ぶ鉄道の敷設が進められ、ブハラは、ロシア帝国と緊密に結び付けら、当時建設されたカガン駅は、現在もブハラの鉄道の玄関口になっています。

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