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Jメール日記

投稿内容

  • みっちー 40〜44 公務員 熊本 玉名市 close

自己紹介

自由コメント: お手柔らかにお願いします。 趣味: ドライブですかね。 誰似: わかりません。 性格: 明るい昼行灯 特技: 日曜大工 髪型: 短いです。 マイブーム: 歯磨き(薬用クリニカ愛用) ヘルシア緑茶 (お腹が気になり始めました) 好みのタイプ: わがままは言いません。 休日は: のんびり&たまに残業 恋人は: いません。 夢: 定年後、埋蔵金を堀当てたいですね(笑)

  • 地域
    熊本 玉名市
  • 年齢
    40〜44
  • 職業
    公務員
  • 血液型
    O型
  • 身長
    165〜169cm
  • スタイル
    標準
  • ルックス
    -
  • 性格
    やさしい
  • あり

興味あること

婚活、趣味友達、ドライブ、スポーツ・フィットネス、カラオケ、大人の関係

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餓狼再び 〜田原坂血風録〜

(* ̄ー ̄)
餓狼再び 〜田原坂血風録〜
(政府軍主眼)

これは、地元でもあまり知られていないお話です。



1877年(明治10年)3月
西南戦争・田原坂の戦いに於いて[薩摩示現流の抜刀隊]により甚大な被害を出した政府軍・・・

この抜刀隊に対抗するために派遣された政府軍の部隊が[警視庁抜刀隊]と呼ばれた精鋭部隊でした。


実は、この警視庁抜刀隊の中に※[とんでもない人物]が居たのです




※[とんでもない人物]

その人物の名は[藤田五郎]。

新設された警視庁抜刀隊の一員で、西南戦争に従軍し、田原坂の戦いにも参加。

襲い来る薩軍抜刀隊を、涼しい顔で次々となぎ倒した[修羅の人物]でした。



1877年(明治10年)3月
[田原坂の戦い]

ちえぇすとおぉおおぉぉ〜っ



きいぃぃ〜ん

ざしゅっ
どすっ


どささっ

o(__*)o(__*)o(__*)


ぴっ・・・ぱちん。

[警視庁抜刀隊・藤田五郎さん]

―(* ̄ー ̄)・・・



何人斬っても顔色一つ変えない非情なる鬼・・・

その冴え渡る剣技、剣閃を前にして逃れる術はない。


[政府軍]

( ´∀`)ノハッハッハ
いやぁ〜さすが藤田殿
実に見事な剣捌きですなぁ〜



ざざっ

ε=ε=( ;゚皿゚)ノ
ちえぇすとおぉおおぉ〜っ

Σ(O_O;)ノノ
し、しまった


(* ̄ー ̄)+ギラッ


どすっ

( ;゚皿゚)ぐおっ
む、無念・・・
おんしらぁ〜、覚えておれよ〜・・・

ばたっ・・・


Σ(O_O;)
む・・・
こ、これは※[撃剣]?
お主、一体どこでこれを?


・・・((((* ̄ー ̄)
ここは戦場・・・
いつ貴殿の首が飛ぶやも知れん。
ご油断召されるな。

((( ;゚Д゚)))
わ、分かり申した・・・


冷たく、鋭い眼光だけをその場に残し、赤く滴り落ちる血刀を手に静かに去っていく・・・

全身に返り血を浴びて紅に染まるその姿に、敵どころか味方でさえも震え上がり声すら出ない。



((( ;゚Д゚)))ガクブル
(心の声)
ふ、藤田殿・・・
貴殿は一体何者だ?




※撃剣剣術
(げきけん/げっけん)

[撃]とは[投げて当てる]の意味。

つまり、投剣術のコトです。


分かりやすく言えば、忍者が使う[手裏剣]や[くない]がその類いです。

後に短剣術や銃剣術に応用され、軍隊訓練に採用。一部応用術が現在の自衛隊の訓練に受け継がれています。




(* ̄ー ̄)
警視庁抜刀隊[藤田五郎さん]・・・

その冷たい眼光の奥に凄まじい殺気をはらんだ修羅の剣豪でした。

しかも、ほとんど無口。
唯一、藤田さんの素性を知っている人物は一人だけ。

それが、鬼佐川こと
※[元・会津藩家老・佐川官兵衛]のみ。



※[元・会津藩家老・佐川官兵衛]

戊辰戦争・会津戦役で活躍した人物です。

会津藩降伏後、東京で謹慎生活を送っていましたが、後に許され警視庁警視局(警察官)の職に就いていました。

官兵衛さんは、とにかく薩摩と長州を怨んでいて、西南戦争では喜び勇んで政府軍に従軍し[戊辰の怨み、会津人の怨み]とばかりに各地の戦場で暴れ回った薩軍キラーとしても有名です。


しかし・・・
1877年(明治10年)3月18日

阿蘇谷の戦闘に於いて、乱戦状態の中、敵の首を斬り飛ばした直後・・・額を撃ち抜かれ戦死。享年47。

その最期は、立ったまま前方の敵陣を睨み付け、まるで今にも突撃するような・・・凄まじい形相の最期だったと言われています。




(* ̄ー ̄)
さて[藤田五郎さん]のほうなんですが・・・

なんと、血風吹き荒ぶ田原坂の剣林弾雨の中を、堂々と歩いて登っていました。

しかもその後には、首が飛ばされ、または胴体が切り裂かれた無惨な薩軍兵士の屍が累々と・・・

それはまるで、狼に食い殺されたかの如く、無造作に転がり落ちていたと言われています。


[政府軍後続隊]

(゜ロ゜;
ふ、藤田殿?・・・

くるっ

(* ̄▽ ̄)))にやぁ


びくっ

((( ;゚Д゚)))
き、貴殿は本物の鬼か?
いや、血に餓えた狼か?



(* ̄ー ̄)・・・
戦場では、同じ敵と再び刃を交えるコトは極めて皆無。

今のわたしは・・・ただ敵を求め、戦場をさ迷う[過去の亡霊]そのものだよ。


((( ;゚Д゚)))
藤田殿?・・・
いや、その言葉・・・
やはり[新撰組]か。



味方をも震え上がらせる[血に餓えた狼]・・・餓狼[藤田五郎]。

実は、

[元・新撰組三番隊組長・斎藤一]

その人でした。



((( ;゚Д゚)))
確かに、この光景・・・どこか見覚えがあると思えば[あの頃の洛中]だったのか。

ヽ(;゚Д;゚;)
おれも聞いたコトがある。

警視庁には[新撰組の生き残り]が居ると・・・





ガクブル(((;゚Д゚)))ヽ(;゚Д;゚;)ギャァァァ
そ、それがあの男だったのか







(* ̄▽ ̄)ノはい。
このように[田原坂の戦い]には伝説の集団[新撰組の生き残り・斎藤一]が[藤田五郎]の名前で、幕末の京都以上の地獄絵図を具現化し、官薩両軍を震え上がらせていました。




その後の彼の経緯については・・・
西南戦争終盤で傷を負ったのち、戦線を離脱。

後に警視庁へ復職し、後輩の育成に努めたのち退職。

退職後も道場にて、撃剣剣術の指南役をこなしています。


1915年(大正4年)9月28日
斎藤一・・・永眠。享年71。

また、同時期に亡くなった新撰組の生き残りで、北海道の小樽に逃れていた

[新撰組二番隊組長・永倉新八]

がいます。








さいごに


(* ̄ー ̄)
運命の悪戯か、あるいは時代の潮流か・・・

幕末動乱期の京都に於いて数多の維新志士を斬り倒し、戊辰戦争を戦い・・・

そして、敵対したハズの明治政府に取り込まれ、さらには・・・かつて自分たちを瓦解させた薩摩を討つべく、再び餓狼として蘇った[新撰組の生きた伝説]・・・

しかも、最後まで[権力に飼い慣らされる]ワケでもなく、あくまでも[孤高の狼]を貫き通した斎藤一の生き様は、おおよそ今の日本人にはない[士魂の象徴]だと思います。




<(* ̄ー ̄)ノ
歴史とは教壇の卓上論にあらず
己が足で調べ、感じ、思い・・・そして、その心を汲むものである。

(byみっちー)
(いいコト言いましたっ)




(* ̄▽ ̄)ゞ
って・・・元ヤンのおれが、偉そうに言う立場ではありませんがね(笑)

コメント

  • みっちー 40〜44
    >あきらさん
    (* ̄▽ ̄)
    多少の脚色はしてるけど、幕末動乱期の[人斬り]だったから、そりゃあ

    [恐いを越えた怖さ]

    だったと思いますよ。



    (* ̄▽ ̄)
    まさに[最恐の人斬り]
    9/28 21:36
  • あきら 30〜34
    仕事人のような………。
    セイバイ(* ̄ー ̄)ノ(ノД`)
    るろうに剣心のようでも
    ありますね。
    ( ̄^ ̄)ノユルサヌデゴザルヨ。
    9/28 19:36
  • みっちー 40〜44
    >りぶりぶさん
    この話は、昔(3〜4年くらい前)聞いた[田原坂の人食い狼]の話だよ。

    そんな[最恐の人物]が、当時の田原坂の戦場に居たんだからなぁ・・・




    (* ̄▽ ̄)ゞムリムリ
    さすがに勝てる気がしない・・・
    9/26 9:09
  • りぶりぶ 35〜39
    このユーザーは退会しています。 9/26 5:08
  • «
  • 1

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