いきてたいんだなきっと、
時刻は深夜の1時34分。良い子は寝る時間ですね。
時間も時間ですしちょっと死生観についてお話ししようかと思います。
僕は40歳くらいでくたばりたいなと思ってるタイプの人間です。
やり残した事は多すぎて捨ててるし大切な人は隣にはいないし。無駄に生きて辛くなるのもなーって感じで。
だったらいっそ一瞬燃え盛って燃え尽きようと。
ただ最近少しだけ考え方が変わったきたんですよね。
だって40で死ぬやつが新NISAに興味持たんでしょ?仕事辞めてやりたい事をやってみたいって思わんでしょ?
自己肯定感は低いですよ。ただ生きてる真似してるだけで。何にも出来ない何者でもない奴です。
職場では自分はクズとかボケとかゴミとか呼ばれて、やればやる程に何も出来なくなっていく。ごめんなさいが口癖になりました。
自分に価値なんてないようにしか思えなくなって、自分は不必要な人間なんだって。救いもなくて支えもなくて。
本気で遺書まで書きました。
ただ母親に遺書のメッセージを書く時にふと悲しむだろうなって思っちゃったんですよね。
きっと僕はまだ生きてたいんだなと。だからこんな自分を少しだけ愛する努力をしようとしました。やっぱり死にたくないなって。
僕は僕を愛したい。愛せるようになりたい。そういう自分になりたい。
命あるものいつかは終わりがきますしそれが1分後なのか明日なのか数年後なのか数十年後なのかの違いなだけであって。
だからいつ死んでもいいじゃん権利じゃん。いつでも死ぬ権利があるんだからもう少し後で使ってもいいかなって思うようになりました。
死ぬ時は今日も生きててよかったなって心から思える日にしたい。生きるのを全うしてから死んでもいいでしょ。
頑張ってさ空気読んでさ無理に笑顔作ってさ、それでも失敗して蔑まれて嫌われて、だから何も期待しない。
それでも僕はいきていたんだ。
ごめんなさい、なんかぐちゃぐちゃになっちゃったよ。
息をするのも苦しい人へ
生きてて偉いとか言わないよ。僕は君のことを知ってるわけじゃないから。
惰性で生きててもいいよ、死ぬ権利も生きる権利もあるんだから。
僕は君を肯定する。僕が支えになる。
君には生きる価値がある。
君の事は何も知らない、でも理由がなくても好きなんだ。